私達ドリームチェイサーはジョーリンターナー氏をトリビュートしています。
彼についての華々しい略歴をご覧ください。
なお略歴の文章は当サイトリンク、いつもお世話になっています
ジョーリンターナー日本オフィシャルファンクラブ
Loving You Endlessly から引用させていただいています。

略歴の下に彼の参加しているアルバムのご紹介(Amazon)がありますので
こちらもぜひご覧ください。

★略歴
<最終更新2009年7月>
By Kaoru Hishino at JLT Official Japan FC

JLTは1951年アメリカのNew Jersey州にてイタリア人の血をひく家庭に生まれました。生家の近隣にはイタリア人一家も多く、 50年代から60年代をこの賑やかな環境の中で、様々な種類の音楽の触れながら育ちました。姉の影響で60年代のロックやソウルミュージックに傾倒して行きました。

JLTは数々のローカルバンドやEZRA等を経験しながら大学に進学し、英文学博士の学位を取りました。70年代中期に地元で結成したバンドFandangoはRCAレーベルとの契約を獲得し、77年デビューアルバム「Fandango」でプロデビューを果たしました。バンドは4枚のアルバムを発表した後解散しました。

シンガーとしての仕事を探していたJLTを自らのバンドRainbowへ導いたのはRitchie Blackmore。Joeの華やかなキャリアのスタートでした。JLTはRainbowで3枚のアルバムに参加、世界ツアーも大成功させます。

1985年、JLTはRainbowを離れ ソロアルバム「Rescue You」をリリース。ソロシンガーとしての道を歩み始めました。


1988年、JLTはスウェーデン出身の若手ギタリストYngwie J.Malmsteenとの活動を表明。たった1年の活動に終わりましたが、アルバム「Odyssey」とソ連(当時)政府公認の招聘ライブでもライブアルバム・ライブビデオ「Live In Leningrad」をリリースしました。

1990年、JLTは再びRitchie Blackmoreと活動。偉大なるDeep Purpleへ参加します。しかし、参加アルバム「Slaves and Masters」を発表し世界ツアーを成功させるも、1992年脱退に至りました。
同じく1992年、友人であるJeff Watsonの誘いでMother's Armyに参加。デビュー盤「Mother's Army」をリリース。ワイルドな歌唱が楽しめる作品です。現在迄に3枚のアルバムをリリースしていますがこのバンドのツアーは1回も実現していません。

1995年、JLTバンドを結成し活動しながらソロとしては10年の歳月を空け、2ndソロアルバム「Nothing's Changed」を発表。ソロ・アーティストとして本格的に始動します。
その後JLTは数々のトリビュート企画に参加しつつ、1997年には日本人オルガニストのKANKAWAの作品に参加。沖縄公演を含む日本ツアーを成功させました。
1997年、1999年に2枚のカヴァー作品を発表。1997年にはカヴァーアルバムのプロモーション来日を果たしました。
1998年には久々のソロオリジナル作品、通算ソロ3枚目「Hurry Up And Wait」を発表。

2000年には4枚目のオリジナルソロ作品「Holy Man」を発表。この年ソロとしては初めての来日公演を成功させました。

1997年、JLTはRainbowトリビュート・プロジェクトで日本人ギタリスト梶山章と出会います。彼こそJLTが求めていた才能だったのです。梶山の参加作品は現在3枚。回を追う毎に共演、共作の比率は増えています。
また、JLTはVCR(Voices Of Crassic Rock) ロックの殿堂プロジェクトのメンバーとしてGlenn Hughes(来日公演にも参加)との共演を中心に精力的なVCR名義のツアーもこなしています。

2001年、JLTが曲作りのパートナーに望んだ日本人ギタリスト、梶山章との全作共演が実現しました。オリジナル作品としては5枚目になるソロアルバム「Slam」の発表です!日本での話題といえば、JLTが歌うCM曲が日本全国に流れた事です。このアサヒスーパードライのCM曲「Challenge Them All」はシングル発売され、好セールスを記録しました。
また同年、JLTの親しい友人でもあるNikolo Kotzevが長年に渡り抱いていた夢のプロジェクト、壮大なロック・オペラの「Nostradamus」が完成!2枚組のCDとして日本クラウンからリリースされました。JLTは主役のNostradamusを熱演しています。また、Aerosmith等のトリビュート作品にも積極的に参加し、素晴らしい歌唱を披露しています。

2002年、前回の初のソロ来日の際にGlenn Hughesと語り合った夢が晴れて実現し、偉大なる元Deep Purplreのヴォーカリト同士の共作が実現しました。「Hughes Turner Project」の始動です。John Sykes、Paul Gilbert、梶山章をゲストに向かえ、Glenn Hughesバンドのメンバーと共に作られ、2人のヴォーカルワークがお互いを高めあうが如きの力作です。

2002年5月にはHTPとして来日公演を行い、大成功を収めました。奇しくもHTPのルーツとなった「Holy Man」ツアーでのメンバーと全く一緒のHTP公演は、久々の全国ツアーの各所で息の合ったプレイでファンを楽しませてくれました。HTPではJLTはサイドギターとソロギターパートをも披露。前回のソロ来日より、バンドとしての側面を楽しませてくれました。

またJLTとGlenn Hughesが米国で活動するロックの殿堂ヴォーカリスト達が名曲を披露するVCRとしての初来日も決まりました。2002年、JLT&Glenn Hughesは7月末~8月に再来日する事となりました。この来日は、VCRの行う米軍慰問公演、VCR FAR EAST TOURの一環です。

HTPは2002年9月~10月に掛けて大規模な欧州ツアー敢行。残念ながらベルリンのショウのみプロモーター行方不明の為に急遽キャンセルとなりましたが、残りの日程は大盛況。前座を務めたのは、欧州では同じレーベルに所属するドイツのバンドDomainと日本からKelly Simonz's Blind Faith。Nikolo Kotzevとの小規模なアコースティックライブツアー(前10日間)を除くと10年振りとなるJLT欧州ツアー。英国FC会長を始め、欧州ファンの喜びはFC会報やJLT公式サイトのファンレポートからも十二分に伝わってきます。

2003年6月、8作目のソロアルバムとなる「JLT」が発表されました。自身の名前をタイトルとした渾身の一作では過去の作品より数多くの作詞作曲、ギター演奏を手がけています。また、同年7月発表のNikolo KotzevのバンドプロジェクトBrazen Abbotの新作「Guilt As Sin」では4曲に参加。Nikolo Kotzevの故郷ブルガリアのみとなりますが、初となるBrazen Abbot名義のツアーにシンガーとしてJLTが参加します。
またMr.BIGのトリビュート作品にも1曲参加、旧友Yngwie Malmsteenとの共演を果たしています。

2003年HTPとしての2作目HTP2を発表、2004年2月の日本公演を皮切りに欧州全土を長期間ツアーしました。その後ロシア慰問も敢行、ロックファンであるモスクワ市長とGH&JLTとの交流はロシアの新聞に大きく取り上げられました。JLTは自身のソロアルバムの構想を練りつつ、地元NYのミュージシャン仲間によるプロジェクト "HIT SQUAD"にも参加、NYで数回のライブを行なっています
2004年秋にはライブDVD とCD"A Decade of Brazen Abbot"が発売されました。

2005年2月JLT9作目となるソロアルバム「The Usual Suspects」を発表。あえて過去キャリアへの回帰を意識したこの作品はメロデックでパワフルな秀作として各国メディアから高い評価を受けています。3月には新譜プロモーション来日を行い2回のストアライブや音楽学校講演を行ないました。 同年12月7日には、梶山 章とのコンビによるアルバム「Fire Without Flame」をAkira Kajiyama+Joe Lynn Turner名義で発表(日本先行発売・欧州発売は2006年度)渡米・来日をせず、パソコンを通じた音源のやり取りでアルバムを完成させました。

2006年1月、スバル自動車のCMにJLTが歌うバックストリートボーイズのカバー曲「The One」が使用され、再びお茶の間にJLTの声が響く事となりました。この曲はMAXIシングルとして発売されると共に、洋楽オムニバスアルバムにも収録されました。
2月には梶山章とのスペシャルショーケースと音楽学校講習の為に来日が実現。CD店でのミニライブも開催されました。
本国米国でも精力的にラジオプロモーションや、ソロライブ活動を行いました。5月には5週間に渡るトルコツアーも成功させました。

同年8月、数年来の企画、新日本フィルハーモニー交響楽団とのジョイントによる「Tribute To Rainbow・虹の彼方に」が実現!東京芸術劇場にて正に夢の公演が行われました。

同年9月、元SURVIVOR のJim Peterikを起用したメロディス・ハードなバンドプロジェクト「SUNSTORM」始動。1stアルバム「SUNSTORM」を日本先行にてリリースしました。イタリアのフロンティアレコードがJLTの昔のデモテープを世に出したい強い意向がきっかけとなり実現した企画です。

2007年10作目のJLTソロ作であるアルバム「Second Hand Life」を発表。i-tune販売へも進出かつ欧州・日本2種類の異なるボーナストラックも話題になりました。またStuart SmithによるJLT参加バンドプロジェクトHeaven & Earth 名義のDVDもリリースされています。
5月末~6月には、元Rainbowのヴォーカリスト同士の夢の共演が日本で実現しました。「ALCATRAZZ featuring Graham Bonnet vs Joe Lynn Turner with Akira Kajiyam」と銘打たれた、ダブルヘッドライナーでの日本公演4回は大成功、その後諸国のオファーを受け、同様の公演を欧州でも行いました。日本公演の後JLTは単身ロシアに渡り、政府要人向けのイベントに出演。ここで旧友Yngwieとの共演が実現。

2008年、JLTは新しいバンドプロジェクト「BIG NOIZE」を本格始動、米国でライブを開始しました。メンバーはVoのJLT、ベーシストのPhil Soussan( Ozzy Osbourne's band), ギタリストCarlos Cavazo (Quiet Riot) ドラマーのVinny Appice (Black Sabbath, Ozzy Osbourne, Dio,John Lennon, Heaven and Hell)の4人編成。各人が在籍した有名バンドの人気有名楽曲を披露するライブは大好評。その後バンドはイラク・クェートに駐留す米軍慰問を敢行、その勇気に賞賛が集まりました。

同年、JLTはトルコのギタリストCem Koksal(ケム・コクセル)との共演による大規模なトルコツアーを成功させます。欧州でケム名義のDVDとライヴCDがリリースされました。秋にはソロ名義としては初となるライブCD「Live In Germany」をリリース

2009年JLTは元Rainbowに在籍したミュージシャンと、リッチーブラックモアの子息でギタリストのユルゲンブラックモアとで、新バンドプロジェクトOver The Rainbowを結成しました。同年2月のロシアツアーからバンド活動を開始。4月末~5月には来日公演が実現、大きな成功を納めました。この成功により各国からオファーが殺到。OTRはロシア、欧州、米国、南米等、広範囲でツアー日程が組まれています。

同年春、2006年に1syアルバムを発表したSUNSTORM名義での2ndアルバム「House of Dreams」をリリース。

JLTはBIG NOIZEとしてのライブ活動もOTRと平行して続けています。

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JOE LYNN TURNER RESPONSE TEAM
c/o Lis & Jacqui
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